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岩石試験を知ろう! その他特別編2
皆さん! またまた、六郷です。今回も、「岩石試験を知ろう!!」のその他特別編1の続編(『「岩石試験を知ろう!!」のその他特別編2』として、前回紹介できなかった代表的な岩石について紹介することにしました。今回は、安山岩や砂岩を中心にお話するつもりですので、皆さん期待してください。なお、極めて残念ですが、今回で「岩石試験を知ろう!!」は全て終了となります!!
では、特別編2のスタートです! まず、「安山岩」では、白河安山岩(安山岩質凝灰岩)、本小松安山岩、村田安山岩、山崎安山岩、芦野安山岩(安山岩質溶結凝灰岩)、などが良く知られていますね。白河安山岩は、福島県白河市西白河郡西郷村付近で採掘されており、安山岩質凝灰岩で、一軸圧縮強さが、概ね、30~50MPa程度を有する 岩石です。白河小峰城の石垣に使われているようです。なお、凝灰岩で代表的な大谷石(栃木県宇都宮市大谷町付近:軽石質凝灰岩)の一軸圧縮強さは、概ね、4~10MPa程度であるので、白河安山岩の方が5~6倍程度高強度となっていますよ。
図-1 石材採取地例(★1)
ここで、山王係長!! 「本小松石」について紹介してください!
六郷課長!! 私は、真鶴半島産ではありませんよ!
本小松石は、奈良時代(710年~794年)に真鶴地区で採れた石を岐阜県養老郡の竜淵寺(りゅうえん寺)の墓石に使われたようで、今から1,200年前の話で、「日本で最古の石材」とされています。真鶴半島の海岸部では、江戸城の石垣用に切り出した新小松石の採石跡が観察できます。I was born in YOKOHAMA and grew up in Ota Ward.
写真-1 本小松石採石場と本小松石(大トロ:湯河原石材(株))
ここで、本小松石が使われている有名な建物や墓石についての質問です!次の中で正しいのはどれでしょうか?
Which one is the right answer?
❶鎌倉の大仏の台座、❷鶴岡八幡宮の石段、❸芥川龍之介の墓石、❹源頼朝の墓石、❺早稲田大学記念講堂、❻森鴎外の墓石、❼大正天皇・昭和天皇多摩御陵、❽小田原城の石垣、❾江戸城の石垣、❿徳川慶喜の墓石
Yay! Got all of the questions right!!
写真-2 江戸城・小田原城の石垣(本小松石:湯河原石材(株)資料)
余談ですが、真鶴の自然は、多くの文人や画家などに愛され、例えば、夏目漱石「真鶴行」や志賀直哉「真鶴」、里見淳「真鶴まで」の小説や随筆など文学作品にも取り上げられています。特に、夏目漱石の「真鶴行」は、大正5年ごろの、真鶴の風景、漁師の風俗や方言など、当時の真鶴の情景が正確に描かれた旅情日記と見なされます。なお、次の俳句は、坪内逍遥が真鶴の名勝(三ツ石海岸)を歌ったもので知られていますよ。
写真-3 坪内逍遥の俳句碑(真鶴町)
写真-4 三ツ石の日の出(and trip資料)
なお、現在は、三ツ石に注連縄(しめ縄)が張られていますが、当時はしめ縄はなかったようですね。この歌の後に、張られたと考えてよさそうですね!!
では、次は、砂岩に関する紹介です。代表的な砂岩では、来待砂岩(きまち)、多胡砂岩(たご)、白浜砂岩、和泉砂岩などが良く知られています!
それでは、来待砂岩について紹介しますね! 来待砂岩は、島根県松江市の宍道湖の南側に分布する「大森―来待層」で採れる凝灰質砂岩で、今から1,400万年前(新第三紀中新世中期)の火山堆積物が海底で堆積してできた岩石のようです。古代では、古墳時代中期(5世紀ごろ)に古墳の石室や石棺などに使用され、近年では、石塔、石段、灯篭などに幅広く使われています。松江城の水路や伝統工芸である「出雲石灯篭」あるいは「石州瓦(せきしゅうかわら)」の釉薬などにも利用されているようです。
図-2 来待層の堆積イメージ(来待ストーン資料)
写真-5 採石直後と採石後数か月経過した来待砂岩との状態比較(来待ストーン資料)
来待砂岩の一軸圧縮強さは、概ね、34~54MPa(★2,★3など)程度で、吸水率は6%程度、空隙率は25%程度とされているようで、沸石を多く含むことから、加工しやすい石材と言われています。特出すべきは、江戸時代に松江藩の藩主が、この来待砂岩を「御止石」として、一切藩外に持ち出すことを禁止したと伝えられています。それほど来待砂岩は、松江藩の貴重な財産になっていたのですね。
六郷課長! 来待砂岩は、ゼオライト(沸石)を多く含んでいるとのお話ですが、ちなみに、ゼオライトは、多孔質の結晶性アルミノケイ酸で、ケイ素(Si)とアルミニウム(Aℓ)を主要元素とする「ケイ酸塩鉱物」の一種で、ケイ酸原子のいくつかがアルミニウム原子に置き換わった独特な構造をしているのですよ!! Do you know what I mean? I understand. 山王係長!詳しく化学的な説明をしてくれてありがとうございました!!それでは、来待砂岩はこの程度にして、次は、「多胡砂岩」について紹介しますね!!
多胡砂岩は、群馬県多野郡吉井町の牛伏山一帯で産出される新生代新第三紀中新世の中粒から粗粒の砂岩で、石英と長石とを主体にした岩石です。鉄分を含んでいることから、赤褐色を呈しており、硬質で耐久性に富み、石材としての利用は和銅4年頃(711年)の多胡碑(特別史跡)に使われています。奈良時代の初期、和銅4年に新しく「多胡郡」が誕生したことを記した健郡碑で、日本三大古碑(多胡碑・那須国造碑・多賀城碑)の一つとされているようです。なお、平成29年10月31日に、「山上碑、金井沢碑、多胡碑の上野三碑(こうずけさんぴ)」は、ユネスコ「世界の記憶」に登録されています。
ここで、「世界の記憶」とは、「世界的に重要な記録物への認識を高め、保存やアクセスを促進することを目的として、ユネスコが1992年に開始した事業の総称をいう。そのうち、本事業を代表するものとして、人類史において特に重要な記録物を国際的に登録する制度が1995年から実施されている。」(文部科学省)世界の記憶より)のことです。
写真-6多胡碑(高崎市文化財情報)
写真-7 多胡石(日本石材センター(株))
なお、この多胡碑には、以下の銘文(現代語訳)が記載されています。
『朝廷の弁官局から命令があった。上野国(こうずのくに:今の群馬県地域)片岡郡(かたおかのこおり)・緑野郡・甘良郡(かんらこおり)の三郡をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は、多胡郡(たごのこおり)としなさい。和銅4(711)年3月9日に命令が伝えられた。
左中弁・正五位下 多治比真人(たじひのまひと)から送られた天皇の命令書である。
太政官・二品穂積親王(にほんほづみみこ)、左大臣・正二位石上尊(いそのかみのみこと) 右大臣・正二位藤原尊(ふじわらのみこと)』
多胡砂岩は、奈良時代の初期から地域に密着した古墳や石碑など多目的に使われているのですね。おそらく石材として加工しやすい石だったと考えられますね。六郷課長!!多胡砂岩の物性は、どうなっているのですか!
和泉砂岩は、約1億年~6400万年前の後期白亜紀の和泉層群中に産する砂岩で、大阪府の県の石とされています。ここで、和泉層群とは、西南日本の中央構造線に沿って線状に分布しており、大阪府、和泉山脈、淡路島などにその分布がみられるようです。特に、和泉山脈の稜線部の和泉層群は、砂岩泥岩互層から構成されていて、砂岩が厚く分布する部分が「和泉石(別名和泉青石)」として使われています<日本地質学会県の石:近畿参照>。
なお、和歌山県有功地区の地蔵寺境内の園部丸山古墳の巨大な石室、岸和田城の城壁や石垣など古くから使用されています。特に、和泉砂岩は、「細密」なため、加工がしやすく狛犬や石灯篭などに利用されています。
和泉砂岩の一軸圧縮強度としては、200MPa程度(例えば、★2では、213MPa)、空隙率は0.9~4.5%程度を有し、本小松石に近い強度がある石材ですね。
なお、近世になり、「和泉石工」と呼ばれる石工の集団が和泉国日根郡(今の大阪府阪南市)を本拠地として全国で活躍したといわれており、興味深いことに、寛永8(1796)年刊行の「和泉名所図会」には、「和泉石工」が灯篭や狛犬を造っている様子が描かれていますよ。
写真-8 和泉砂岩(岐阜大教育学部資料)
図-3 和泉石工(和泉名所図会:★4)
(1)藤井幸泰:地質材料としての石材の一軸圧縮強度と利用時期との関係について,応用地質,第61巻,第6号,2021.
(2)羽柴公博・福井勝則:岩石の力学的物性値の相互関係,骨材資源,通巻No,182,2014.
(3)朴蒜・高橋学・藤井幸泰・竹村貴人・高橋直樹:来待砂岩の力学異方性と堆積構造に関する研究,その2―弾性波速度,一軸圧縮強度についてー,応用地質,第53巻,第3号,2012.
(4)ストーンサークル資料.他
★★:皆様!!長きにわたり拝読頂きまして、大変有難うございました。深謝です!!
また、いつか機会があればその他の岩石の紹介もできるといいですね!
以上
