関東土質試験協同組合
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あなたの町の土木遺産を知ろう 六郷水門


羽田技術部長

皆さん「大変お久しぶりです」!技術部長の羽田です。
 私達は、これまで、「関東の地盤を知ろう!!」及び「岩石試験を知ろう!!」のシリーズ物を配信してきました。今般、「あなたの町の土木遺産を知ろう!!」と題する新シリーズをお送りする運びとなりました。大変喜ばしいことと考えております。
 
なお、どの土木遺産を選択対象とするかについては、特段に意識した理由はありません。紹介のしやすさや皆様がご興味を持つと推測される土木遺産を取り上げるのではないかと思います。では、六郷課長!紹介を恙無くお願いします!!


六郷課長

では、紹介させてください!久しぶりです!六郷です。また、皆様にお会いできて大変うれしいです!!
 第Ⅰ回目は、東京都からのスタートになります。「あなたの町」ではなく、「我が町」の近傍にある大田区六郷土手(多摩川沿い)の「六郷水門」について、皆様に是非ご紹介させて頂きたいと思います。
今回のメンバーは、大田区南六郷二丁目生まれの六郷(私こそは我が町ですが)と大森係長、山王係長及び今年度4月に土質試験課力学物性班に入社したばかりの雪谷珠美(ゆきがやたまみ)職員とでしっかりと務めさせて頂きます!!


山王係長

皆様!岩石試験課の山王です。I am one of the members for this new project .
It‘s been a whie, everyone. I am doing great!! Let’s give it our all !
 六郷課長!! 「土木遺産」って、ざっくりと要約すると『近代日本の黎明期に造られた生活基盤となる土木施設で、歴史的に国土や地域に貢献したと見なされる貴重な土木施設』と言ってもいいのかしら!! なんか大変な施設が対象になるのね!!
 六郷課長!「六郷水門」のお話の前に、新入社員の紹介をお願いします!! 雪谷さんは、私の担当する岩石試験課ではなく、大森係長の土質試験課の配属と聞いています。大変残念です、じゃあ 大森係長お願いします!本当に雪谷さんうちの課に来ない!! 


大森係長

土質試験課で係長を拝命している大森です。皆さん大変お久しぶりです! では、私の方から雪谷珠美職員の紹介をさせて頂きます。個人情報なのであまり詳細な紹介はできませんが、生まれは大田区雪谷大塚町で、高校は、旗の台にあるK女学校、大学は、千葉県習志野にある某私立大学の理学部において「環境科学や地質学」を勉強して来たそうです。キャリアとしては、特に、土質試験や土木関係には縁がありませんが、これから「縁を結ぶように頑張る」とのお話です。皆さんご指導よろしくお願い致します。


雪谷職員★

皆さん!!大森係長の下で土質試験のお仕事をさせてもらうことになりました「雪谷珠美」です。皆さんに「この子できるな!!」と思わせるように、「山溜穿石(さんりゅうせんせき)」のごとく「こつこつと努力」を積み重ねるつもりですので、皆様暖かく見守っていただければ嬉しいです。今回の「あなたの町の土木遺産」は、大層興味があり、「土木工学のイメージ」をつかみ取ろうと思っています!!
 では、いよいよ本題の我が町の誇り「六郷水門」に関する土木遺産の紹介をさせてください!!「ワクワクです。」本当にユニークな水門ですからね!!

「六郷水門」のある場所としては、南六郷二丁目の「南六郷公園」の多摩川土手側(多摩川六郷緑地の最下部付近)に位置しています。
 「六郷水門」に関する土木学会の選奨年度は、令和3年です。その選奨理由としては、「六郷水門は、今もなお水門としての機能をもち、多摩川の改修工事や六郷用水の記憶物語る地域のシンボルとなっており、貴重な土木遺産です。」とされています。竣工は、昭和の初期である昭和6年(1931年)ですが、設計者は不明とされています。(★、★3
 まず、この付近の地盤状況について概観します。 図-1には大田区の地形の概要(★4)を掲示しており、赤〇で囲んだ部分は六郷水門の位置を、紫の〇で囲んだ部分は、河港水門(昭和3年完成:国の有形文化財(平成10年9月)に指定)の位置を示しています。
 大田区の北西部には、武蔵野台地が分布しており、多摩川沿いには「多摩川低地(谷底低地)」が、また、海岸側には「海岸平野」や羽田空港などの埋立地が広がっています。なお、武蔵野台地では、立川面と武蔵野面との2種類の発達した河岸段丘があります。全体的な地質構成としては、下部から、凝灰質泥岩やシルト岩などからなる上総層群が分布し、次に、段丘礫層(立川面では、立川段丘礫層が、武蔵野面では武蔵野段丘礫層)が、その上部には、立川面では立川ローム層が、武蔵野面では武蔵野ローム層と呼ばれる関東ローム層が広く分布しています。また、三鷹・世田谷埋没谷(図-2参照)や代々木・高輪埋没谷付近には東京層の分布が見られます。また、武蔵野面と立川面との境界には、「崖線(国分寺崖線など)」と呼ばれる崖が見られます。武蔵野面に位置する台地としては、「本郷台、豊島台、目黒台」が挙げられます。
 一方、六郷水門や河港水門が造られた「多摩川低地(谷底低地)」では、多摩川による氾濫原堆積物である砂礫や軟弱な粘土やシルトが厚く堆積しており、「長期の圧密沈下問題」や「地震時の強振動の恐れ」や「地盤改良工法の選定」など十分な地盤調査や室内試験(液状化試験や繰返変形試験、セメント配合試験など)も必要と成る厄介な軟弱地盤です。

図-1 大田区付近の地形概要(★4一部加筆)

六郷課長!! 雪谷ですが、大田区付近の地形や土質のお話が長くなっていませんか!!そろそろ、「六郷水門」や「河港水門」について説明してもらえませんか!!
 まず、「六郷水門」はなぜ造られたのでしょうか?

そうですね。「六郷水門」は、六郷用水の排水口に造られています。六郷用水は、多摩川の「治水奉行」であった「小泉次太夫(じだゆう)吉次」によって、慶長2年(1597年)から15年かけて開削された農業用水です。多摩川の約24㎞付近(現在の狛江市)から取水し、当時の世田谷領(現在の狛江市、世田谷区、大田区の一部)、六郷領(大田区)を全長30㎞にわたって流下していました。この用水は、田畑への給水、流域の雑排水を多摩川に排出させる他に、雑貨類や肥料などの舟運にも使用されていたようです。
 ところが、昭和になり、六郷地区の人口が増加したため、生活排水が増加し、逆に用水路に逆流する量も増え、大雨などの時に多摩川に排水しきれずに浸水する地域が増えたことから、建設が計画されたようです。(★5:一部表現を加筆修正)
 したがって、急増する都市化に伴うリスクの低減が大きな要因となったように推測されますね! なお、写真-1には、六郷用水の流路図(★6)を示しており、青色の線が六郷用水の流路となっています。また、図-2には、六郷用水路のルート沿いにある世田谷区等々力渓谷付近の地盤構成を示しています。

写真-1 六郷用水の流路図(★6

図-2 六郷用水路・等々力渓谷の地盤構成(★7

次に、「六郷水門」の工事ですが、昭和5年(1930年)1月から翌年3月にかけて、「多摩川改修工事」の一環として行われています。設計者はドイツのシュタイナー(神智学者、シュタイナー教育で知られている教育者、建築家など)であるとの説もありますが、特定する資料がないことから、設計者は不明とされています。水門の側面には、当時の内務省多摩川改修事務所の所長であった「金森誠之(しげゆき)」氏の考案した「金森式鉄筋煉瓦」が使用され、新技術の導入として脚光を浴びたそうです(★5)。
 Wikipediaによれば、『金森誠之氏は、和歌山県出身、大正14年東京帝国大学工科大学土木学科を卒業し、内務省に入省し、大正7年~大正10年及び昭和5年~昭和6年の2度「多摩川改修事務所所長」』を務めていると紹介しています。この期間に、「金森式鉄筋煉瓦」や「まさかり杭(場所打ちコンクリート杭の築造に関する工法)」の発明をしているようです。「金森式鉄筋煉瓦」の構造は、残された旧煉瓦堤(多摩川沿いの羽田2,3,6丁目付近)の写真‐2に示し、写真‐3~写真-5には六郷水門関連の写真を示しています。

写真‐2 旧煉瓦堤(金森式鉄筋煉瓦★8

写真‐3六郷水門全景(★3

写真‐4 六郷水門開閉部側面及び水門排水部側面部(金森式鉄筋煉瓦)(★9

写真-5 土木遺産認定の選奨銘板及び旧六郷町の町章(★9

金森氏は、社交ダンスや映画製作にも造詣が深かったようで、「土木の仕事は、地球芸術である」と認識されていたことから、「当時の土木建築等に関する芸術的な思想」も持っていたのではないでしょうか?

六郷課長!!それは、金森誠之氏が、土木工学だけではなく、創造的な建築設計分野に対しても優れた知識と設計センスとをお持ちのエンジニアであったと推測されているのでしょうか! そうそう!多摩川の反対側(神奈川県川崎市)には、河港水門がありましたね? 河港水門は、確か金森所長が設計(昭和3年完成)されたようですね。直線的で極めて機能的な構造ですが、水門上部の左右には、当時川崎の名産であった桃、梨、葡萄をあしらったユニークな彫刻が施され、はりの部分にはエジプト様式の舟が描かれていたと聞いています。この水門は、六郷水門(昭和6年完成)より先に完成しています。時期としてはほぼ同時期の土木構造物と言えますが、設計思想が全く異なっているように感じられますね!! どうなのでしょうか?

写真-6 河港水門の全景と水門上部の果物とをモチーフにした彫刻(★10

大森係長!! なかなか鋭いですね。いい質問ではないでしょうか!!
 河港水門においては、六郷水門と同様に、むしろこちらの方が最初ではないかと思いますが、「金森式鉄筋煉瓦」や「まさかり杭(場所打ち杭)」が使用されているようです。
 全くの私論ですが、「六郷水門の曲線的な流れるフォルム」は、19世紀末から20世紀初頭(1890年頃?~1910頃?)にかけてヨーロッパでひろがった国際的な美術・芸術運動である「アールヌーボー(新しい芸術)」様式を想起させます。六郷水門は、六郷地域を水害から守るために六郷用水の排水門として建設されました。つまり、水田や野菜畑のある農村の自然の美しさを守る意味があったのではないでしょうか!この意味から判断すると「アールヌーボー」様式の美意識が感じられます。一方、同時期に建設された多摩川の反対側の河港水門は、これから近代化していく川崎地区の将来を願って建設されたと推測され、1920年~1930年代にかけて世界的に流行した「幾何学的デザインや洗練された装飾」が特徴とされる「アール・デコ」様式に基づく設計ではないかと想起されます。
 六郷水門と河港水門とでは、全く対照的な建築様式ですが、いずれも「金森式鉄筋煉瓦」を使用していることや設計者等が、アールヌーボーやアール・デコなどの芸術分野に関しても十分な知識や創造力を有していたのではないかと推測できることから、六郷水門についても金森誠之氏が深く関わっていること、現状、六郷水門の設計者は不明となっていますが、単独か否かは不明ですが、恐らく自身も設計を担当したのではないかと想像されます。なぜなら、設計思想の違いは、設計者が「多摩川を挟んでその両岸」の町の歴史・文化の違いと水門の機能の違いを明確に認識した上で、いずれの水門も建設されていると強く感じられるからです。それは、設計者が2度にわたる「多摩川改修事務所所長」を拝命していたことに大きな要因となっているのではないでしょうか!! これが私のとんでもない私論です。

六郷課長!! That‘s a very audacious hypothesis. では、私の方から一言お話させてください! 多摩川を題材にした絵画と言えば、美人画で知られる伊藤深水(日本画家:娘さんは女優の朝丘雪路さん)の「多摩川原の夕」(木版多色)や川瀬巴水(はすい)(版画家)の多摩川の川べりの風景「暮れゆく古川堤」(多摩川を1本マストの小型の帆船「キャットボート風」が航行する様を多摩川土手からながめた構図))などを題材にした作品などが知られています。さらに、鈴木登志夫が「わが東京・蒲田、六郷川」と題する詩集を、小関智弘(元旋盤工・作家)が、六郷を含む大田区の「町工場のものづくり」について特化した小説「粋な旋盤工」などを発表しています。この様に、作家・芸術家が多摩川を含め、大田区の生活感あふれるリアリズム的な文学・芸術作品を多く世に出しているのも、「飾らない我が町や多摩川の自然に感銘」を受けたからではないでしょうか? そう思いませんか! 六郷課長!!

山王係長! その通りですね。色々文芸作品を紹介頂き感謝します!! では、皆様も一度、六郷水門や六郷用水の復元散策路に来てみて下さいね!!お待ちしています!!
 The embankment of Rokugo is famous for their rows of cherry blossom trees.

<引用または参考にした文献等>
1 雪谷珠美(画像イメージ):アイキャッチャー.
2 六郷水門の選奨理由等:土木学会選奨土木遺産委員会.
3 東京都の土木遺産:土木学会選奨土木遺産(東京都).
4 大田区の地形概要:(株)さくら事務所、ジオテック(株)など.
5 多摩川の名脇役(六郷水門):国土交通省京浜河川事務所資料.
6 散歩の途中(六郷用水を歩くその3):miwa3k.hatenablog.jp.
7 「東京の自然史」:貝塚爽平,講談社学術文庫.
8 旧煉瓦堤(金森式鉄筋煉瓦):shinko-web.jp(しんこうweb).
9 六郷水門:senseki-kikou.net.
10 多摩川の名脇役(河港水門):国土交通省京浜河川事務所資料.など.

以上

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