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あなたの町の土木遺産を知ろう 神田川に架かる聖橋(ひじりばし)など

皆さん!またまた技術部長の羽田です。第2回の「隅田川に架かる橋(駒形橋など)」はいかがでしたか? 話題が沢山ありましたね!隅田川には本当に沢山の橋が架かっていることがわかり、それぞれの橋には、色々な「いわれ」や「設計者たちの強い思い」が反映されているのですね!良い勉強になりました。さて第3回は、『HILLTOP HOTELと2つの聖堂に架かる橋「聖橋(ひじりばし)」など』について紹介させてください! では、六郷課長よろしくお願いしますね!!
では、今回はお茶の水駅のすぐ脇で、「神田川」に架かる「聖橋(ひじりばし)」について私六郷から紹介いたします。まず、皆さん!お茶の水と聞くと何を連想しますか?
お茶の水から神田界隈には、「明治大学、日本大学、専修大学、東京科学大学(旧東京医科歯科大学)、順天堂大学」など多くの大学があり、それに、ニコライ堂や湯島聖堂、沢山の文豪に愛された「山の上ホテル」なども有名ですね。それでは、 皆さん!!「お茶の水」の言われは知っていますか!

写真-1お茶の水言われの石碑(★1)
お茶の水の言われは、JR 「御茶ノ水駅」のお茶の水橋の交番脇横に「お茶の水」の由来が記された石碑があり、概ね以下のような内容が紹介されています。(★1,★2他)
「第2代将軍である徳川秀忠が、鷹狩の帰りに神田山(本郷台地)の麓の高林寺に立ちよった折、寺の住職が境内の湧き水を使って、お茶を点てた。住職はその後、江戸城に高林寺の湧き水を献上するようになると、この寺は「お茶の水の高林寺」と呼ばれ、この寺の周辺地域は「御茶ノ水」と呼ばれるようになった。」とされていますね!

六郷課長!どうやら「お茶の水」の名称は、地域名で、駅名としては、「御茶ノ水」が使われているみたいで、うまく使い分けているようです。

では、聖橋の下には、神田川が流れていますが、この神田川についてお話しましょう!家康公の時代には、神田川の前身「平川」は、海水が遡上していて飲料水としては適さないことから、家臣の「大久保忠行」に命じて、平川の大規模な普請を命じたようです。彼は、沢山の飲料水を確保するために、豊富な真水が湧き出る「井の頭池」(源泉)とし、善福寺川や妙正寺川なども平川に集めて「神田上水」を整備しました。さらに、2代将軍徳川秀忠は、旧平川下流域の洪水対策と外堀機能との強化のために、神田山(本郷台地にあった山)にあたって南下していた流路を東に付け替える治水工事を、仙台藩の伊達政宗に命じています。すなわち、神田山を開削して、湯島台と駿河台とに分け、現在のお茶の水に高低差15m規模の人工の谷(茗渓:めいけい)を開削しました。この区間は、別名「仙台堀」あるいは「伊達堀」とも呼ばれました。現在の神田川は、日本橋川と分岐して、隅田川につながっています(★3他)。図‐1の赤丸は、お茶の水地域で、△印は、神田川の源泉となる「井の頭池」(三鷹市)を示します。
神田川の人口の谷の状況については、東京大学のある本郷から、この御茶ノ水~東京駅に至る地形断面を図‐2に示します。どうですか!雪谷さん! 御茶ノ水駅(聖橋)の付近は、標高差が15m以上ありますね!!江戸時代の開削工事のレベルが極めて高いことが推測できますね!!

図-1お茶の水周辺の地形(★4)

この様に深い谷にすると、この部分には河川によって運ばれた土砂や砂礫などが厚く堆積することになるのでしょうか!!ここに橋を架けるとなると、両岸は台地ですから地盤がいいとして、真ん中の部分の基礎はどうするのでしょうか??
Section chief Rokugo! I think so too, just like you.
I also want to know the proper construction method for the foundation in the middle part of the bridge!


図-2東大から東京駅の地形断面(★5)

ところで、六郷課長!! 聖橋は、湯島聖堂のある文京区湯島一丁目とニコライ堂のある神田駿河台四丁目(いわゆる本郷通り)とを結んでいるのですが、「なぜ聖橋」と命名されたのでしょうか!!「湯島聖堂は、元禄3年に、五代将軍徳川綱吉が建てた「孔子廟」で、江戸時代の初期の儒学者林羅山がここに私塾を開いたのが始まりです。その後、安政9年(1797年)に林家から幕府直轄の「昌平坂学問所」となり、明治時代には、東京師範学校(現筑波大学)や東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)が敷地内に設置されたことから、この場所を「近代教育の発祥の地」と呼ばれています」(★7、★8など)。その後、これらの敷地には、多くの大学が集まり、「大学街」を形成することになります。
一方、神田駿河台にあるニコライ堂(日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂)は、明治24年(1891年)にロシア人の建築家ミハエル・シチュ―ルボフ(基本設計担当)、ジョサイア・コンドル(実施設計担当)、長野泰輔(工事責任者:清水組「現清水建設」)の連携で、明治17年(1884年)に工事を開始し、明治24年(1891年)に完成したようです。構造の基本形式は、ビザンチン式で細かい部分にはイギリスのロマネスク風やルネッサンス様式が取り入れられていると言われています(★9、★10など)。

写真-2湯島聖堂(★7)
ここで、聖橋については、大正12年(1923年)の関東大震災後の復興院による震災復興橋梁の一つで、昭和2年の完成です。構造設計を成瀬勝武が、橋梁のデザインを山田守が担当しています。橋長92.47m、幅員22.0mの鉄筋コンクリートアーチ橋(上路式アーチ橋:アーチの上に路面がある形式)で、当時の最新技術である「メラン工法」を採用しています。鋼鉄でアーチ橋を構築した後で、コンクリートを巻きたてる新工法です。選奨理由は、「土木と建築各々の大家となった山田守と成瀬勝武の設計により建築された橋である。」と紹介されています(★11,★12など)。

写真-3ニコライ堂(★10)
一方、成瀬勝武は、復興局橋梁課長として復興局在任中(8年間)に、永代橋、清洲橋など多くの隅田川復興橋梁の設計を担当し、その後、日本大学理工学部土木工学科の教授として、教鞭をとりながら、橋梁の設計や研究を行っています。彼の書籍である「弾性橋梁―及び建築構造の理論とその應用」(昭和15年第1版)は、「戦前土木名著100選」に選ばれており、「戦前土木名著100選」は、土木学会付属土木図書館において、「明治初期から終戦時(昭和20年)までに刊行された土木関係書籍の内、図書館・土木教育機関で必備書と考えられる書物100点を厳選し、コレクションしたもの」とされています(★13他)
写真-4聖橋全景(★11)
写真-5聖橋全景(★12)
次に、図-3には聖橋の設計図を示しています。
設計図では、2か所の橋台の部分には、直径約254㎜で杭長約3~4m規模?の木杭が使われており、断面図上で駿河台側では、フーチング基礎幅が約11m程度でその下部には木杭の群杭が11本ほど施工されているようですね。基礎の地盤としては、詳細は全く不明ですが、地表部から4m深程度であれば、恐らく木杭の支持層は武蔵野礫層ではないでしょうか? 砂礫層であれば、群杭効果も期待できると考えられます。

六郷課長!問題は、神田川の両岸の軟弱な砂泥の河川堆積物(砂混じり粘土層)に係る基礎はどうなっているのかですよ!!The drawing indicates pedestal-concrete pile, but what kind of piles are these. What kind of pile is referred to by the pedestal- concrete pile?

山王係長!「ペデスタルコンクリート杭」は、恐らく、『「場所打ちコンクリート杭」のことで、鋼管を所定の深さに埋め込み、コンクリートを投入して、先端部にペデスタル(球根)ができるように、内管でコンクリートに打撃を加えながら、外管を引き抜く操作を繰返して形成する杭のことでしょう。』(★13、★14)。橋脚部のペデスタル杭は、恐らく13~18m(平均的には15m程度(★15))程度の杭長を有するのではないでしょうか!

早い話、多数の場所打ちコンクリート杭を造成することで、「人工地盤を形成する」ことが大きな目的でしょう。地盤改良工法の一種と考えていいと思います。
つまり、成瀬さん達は、超軟弱な河川堆積物を人工的に強度のある地盤に代えてしまうことで、橋脚の基礎にしようとする合理的な対策工を選択したのですか!! すごい発想ですね!! 建築家や橋梁設計者などの技術屋さんたちの発想は、合理的かつ独創的な考え方を日常的にできる人達なのですね!! へー!!
なんと!雪谷さん!成瀬勝武の橋梁設計に係る考え方は、菅野辰将ら(★15)によれば、「橋を専門とする技術家は、建築及び絵画彫刻について、深い審美能力を持たなければならない」、「橋のほうが周囲の建物の美観をリードするくらいの見識があってほしい」などの多方面に優れた能力を持った技術者であったようですよ。
図-3聖橋の設計図面(★16)
写真-6補修された聖橋(★17)
平成28年(2016年)には、聖橋の長寿命化工事として、橋の躯体表面を覆っている保護コンクリートを剥がして躯体に入ったキレツ等を補修し、新たな保護コンクリートで覆う工事を行い、平成30年(2018年)4月に竣工しています。

六郷課長! HILLTOP HOTEL(山の上ホテル)について何かお話できる内容はあるのでしょうか?


写真-7山の上ホテル外観(★18)
山の上ホテルは、建設後、90年ほど経過しているため、老朽化により改修(竹中工務店が改修工事を担当)のために現在休業されていて、令和9年(2027年)の夏には、新たに、「山の上ホテル東京(HILLTOP HOTEL TOKYO)」として開業が予定されています。驚くことに、学校法人 明治大学が、令和6年(2024年)2月に創立150周年記念事業として、このホテルの土地建物を取得し、この由緒ある文化的・歴史的な建物を後世に残すための事業を開始するようです(★18他)。皆さんも、是非、応援して下さいね!
山の上ホテルを題材とした作品には、常盤新平「山の上ホテル物語」(2002年白水社)や柚木(ゆき)麻子「私にふさわしいホテル」などがあり、特に、直木賞を受賞した常盤新平の「山の上ホテル物語」では、創業者のカリスマ社長吉田俊男の頑固なまでのホテル哲学とその従業員の50年にわたる歩みを丁寧に描いています。
また、お茶の水界隈が登場するミステリードラマとして、「ミステリー・セレクション:警視庁鑑識課(BS161)」の番組では、「聖橋とお茶ノ水橋」とが取り上げられています。見てみて下さいね!
では、今回の聖橋は、この程度にしておきます。皆さん!遊びに来て下さいね!!
最後に、東京科学大学(旧東京医科歯科大学の建物)の総合教育研究棟の最上部には、記念壁画レリーフが掲げられています。中央部は、ヴアチカン宮殿の「署名の間」のラファエロ作「アテネの学堂」で、「対話による教育の原点」を、左は「医学の父ヒポクラテス像」を、右は世界最初の全身麻酔公開実験の様子を描いたロバート・ヒンクリーの作品を表している特徴ある医学史の記念レリーフです(★20)。是非、一度ご覧あれ!!
写真-8ヒポクラテスの誓い他のレリーフ(★20)
<引用及び参考とした文献類>
★1 お茶の水言われの石碑:www.tokyo-cha.or.jp.
★2 お茶の水言われの石碑:jouhou-kan.net.
★3 神田上水・神田川:Wikipedia.
★4 「東京の自然史」:貝塚爽平,講談社学術文庫.
★5 地形断面:台地上の東京大学(bullbull-musao.hatenablog.com.)
★6 武蔵野台地周辺の地形概説(都内湧水めぐり):(公)日本地下水学会他
★7 史跡湯島聖堂:www.seido.or.jp
★8 湯島聖堂:文京区(www.city.bunkyo.lg.jp.)
★9 ニコライ堂:Wikipedia.
★10 ニコライ堂:東京都千代田区の観光情報公式サイト.
★11 聖橋:東京都の土木遺産,土木学会.
★12 メラン工法:日本大学理工学部土木工学科(www.civil.cst.nihon-u.ac.jp)
★13 ペデスタル杭:建築用語net.
★14 宮本和徹・桑原文夫:「欧米における場所打ちコンクリート杭の黎明期の施工法に関する調査」,日本建築学会技術報告書,第29巻,第73号,2023年10月.
★15 菅野辰将・関文夫・松ケ谷航太:「成瀬勝武に着目した聖橋の設計思想とその構造表現」,
景観・デザイン研究講演集, No.12 , 2016年12月.
★16 聖橋設計図:中央復建コンサルタンツ株式会社.
★17 長寿命化施工後の聖橋:www.shinko.web.jp.
★18 山の上ホテル:明治大学(www.meiji.ac.jp.)
★19 山の上ホテル:www.yamanoue-hotel.co.jp.など
★20 東京医科歯科大学の誓い:www.tmd.ac.jp.
以上
